義理母の突然の旅立ちをYoutube仕切り直しと考える

Youtubeの前に、義理母が突然、旅立ちました。

90歳だったし、ここ数年は目がほぼ見えなくなっていたんですよね。

それでも、一人暮らしをしたがった。

何度か、「一緒に住みます?」って声かけたんですけど、答えは「NO!」

誰かにお世話をされながら生きることを望まなかったんですよね。

実は、東京大学医学部をでていまして、自立心が高かった。

私の母なんて、義理母の10歳下ですけど、地方の島に住んでまして、

「夏に畑に行く人は、男性はふんどし、女性は腰みのだけで、おっぱい掘り出してる人いた」

と言ってるスーパー田舎もん。

2人が話してるのを見て、なんだか不思議な感じがしたものです。

義理母は、月曜日に自宅の廊下にへたり込んでいまして、

火曜日は、大好きなロースカツのお弁当を持って行ったらペロリと食べ、

夜用に、おかず入りのおにぎりを作り、

翌日の昼に、在宅医療でドクターが来るので、旦那が実家に行っています。

そのときには、「夜におにぎり食べたし、朝はトースト食べたよ💘」って明るく言っていたそうで、お医者さんも帰宅。

その後、在宅のPTさん(理学療法士さん?)が来て、旦那は帰宅。

30分後に、「調子が悪いと言っているので、病院に運びます。来れますか?」と連絡が。

結局、救急車が来る前に意識が遠のき、そのまま意識が遠のき、そのまま木曜未明に亡くなりました。

まさに、ピンピンコロリ

義理母が一番望んだ逝き方でした。

私は長男の嫁でして、義実家と自転車で5分強の場所に住んでいます。

そこに家を買ったのは、結婚するとき、義理の両親にあることを言われたからでした。

「私たちはできる限り2人で生きていくから、介護は考えなくていい。

ひとりになって迷惑かけたら、ホームにでもいれてくれて構わない」

義理父は7年前に亡くなり、その後は多少、実家に行く機会は増えましたが、それは当然のこと。

勝手な言い分かもしれませんけど、私のことを本当の娘のように扱ってくれ、大切にしてくれました。

私が仕事を続けられたのは、義理母が全力でサポートしてくれたから。

感謝しかありません。

ただね、ピンピンコロリは、心構えができないんですよね。

90歳だし、それなりに覚悟はありました。

でも、あくまでも、漠然と・・・

大往生だったし、望んだ生き方をし、理想的な逝き方をしたわけで、悲しくはないけれど、それでも心に穴は空いている。

そろそろ復活しなければ、義理母に申し訳ない。

Youtubeは1000人達成。でも・・・

読者登録数は1000人いったところで、すっかり止まってしまってます。

その報告も、またしなければいけません。

ビギナーズラック的に1000人いったけど、運でここまで来たために、基礎ができていないだと思います。

いい機会だし、仕切り直しの機会だと思います。

がんばります!